新井松雲の彫刻1

江戸後期から昭和期まで、9代続いた彫刻師の小林家の9代目新井松雲の彫刻を紹介します。 小林家初代は小林源八正信、二代目は、通称熊谷源太郎ともいわれた源太郎(1799-1861)、三代目は丑五郎、四代目は栄次郎(1834-1898)、五代目は房五郎、六代目は栄吉、7代目松十郎、8代目義雄、9代目は新井姓を名乗り新井松雲と至ります。 松雲の生没年は不明ですが、市内筑波町に住し、主に昭和前半期に建…

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吉田翠鳳の寅絵

吉田翠鳳(すいほう)の描いた寅の絵を紹介します。 翠鳳は、明治38年(1905)に熊谷で生まれました。「虎の翠石」と称された大橋翠石(1865-1945)に師事し、伊豆市にアトリエ「伊豆山荘」を構え、昭和に活躍した日本画家です。師と同じく動物画をよく描き、中でも虎の絵を得意としました。 昭和12年(1937)白木屋で第一回個展を開催し、翌13年(1938)に中国に渡り、写生と虎の研究を行いま…

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令和七年度星渓園自由投句入選作品

令和七年度星渓園自由投句の入選作品が決定いたしました。 入選第一席   さへずりを空に広げて星溪園  中島 弘子 様 入選第二席   然りげなく霧の演出玉の池   棚澤 美惠子 様 入選第三席   緑蔭のあずまや席の譲り合ひ  豊田 進 様 入選されたみなさま、おめでとうございます! 今年度は29名の応募がありました。 ご投句くださいましたみなさま、…

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展示解説QRコード

江南文化財センターの展示室に、来館者の方に展示資料の詳しい情報をお伝えすることを目的として、QRコードを設置しました。 スマホ・タブレットでQRコードを読み取ると、熊谷市の各時代の説明や展示資料の解説、3D画像コンテンツが表示されます。 現在QRコードは9点(①石鏃製作、②熊谷市の旧石器時代、③熊谷市の縄文時代、④熊谷市の弥生時代、⑤熊谷市の古墳時代、埴輪の3D画像4点)です。 今後、順次…

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諏訪木遺跡発掘調査

上之区画整理地内の発掘調査は、現在諏訪木遺跡の調査を行っています。 調査地点では、古墳時代から平安時代にかけての河川跡が確認されており、多量の土師器、須恵器や、木製品が出土しています。 注目すべき遺物として、木製の「扉」があります。長軸120㎝、短軸35㎝、厚さ8㎝の一枚板で、観音開きの片側と推測されます。扉の把手と開け閉め用の軸も確認されます。作成時期は、周辺から出土した遺物から古墳時代前…

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昭和13年8月31日台風被害写真

昭和13年8月31日に撮影された写真を紹介します。 当時の堤外の現熊谷市宮本町に所在した鯨井乳業の牧場が、一面水没しています。当時の荒川堤防は高崎線のすぐ南側に築かれており、宮本町は堤の外側に位置していました。大雨が降ると荒川が増水して度々水没していました。 昭和13年8月29日に父島東方海上に発生した台風が、9月1日未明に神奈川県三浦半島三崎付近に上陸し北上、所沢から熊谷付近を通過しました…

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飯田岩次郎の彫刻:吉見町息障院光明寺山門

吉見町息障院光明寺山門彫刻は、幕末から明治期に川原明戸に住した彫師飯田岩次郎の手によると言われています。 虹梁上に龍、扉の上には、虎渓三笑の彫刻・獅噛み、天女、孔雀などの精緻な彫刻が施されています。 虎渓三笑は、中国・東晋時代の高僧で俗世との境界である谷川「虎渓」を越えないと誓っていた慧遠が、訪れた文人、陶淵明と陸修静を見送る際、話に夢中になり「虎渓」の橋を越えてしまい、3人で大笑いしたとい…

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熊谷寺再建

明治40年(1907)3月に撮影された、再建中の熊谷寺本堂の写真を紹介します。 熊谷寺本堂は安政元年(1855)に火災に遭い、その後仮本堂で営んでいましたが、明治34年(1901)再建の許可が下り、明治40年(1907)4月10日蓮生法師700年忌を期して上棟し、大正4年(1915)に竣工しました。 写真には、周囲に足場が組まれ、柱や梁が組みあがり、瓦が葺かれていない状態の本堂が写っています…

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東武橋

市内中奈良と妻沼を結ぶ「緑道」の、福川に架かる「東武橋」を紹介します。 「緑道」は、かつて東武熊谷線の軌道を道路にしたものです。 東武熊谷線は、当初軍需目的で熊谷市と小泉間を結ぶ鉄道として昭和17年に着工し、翌年12月5日に熊谷―妻沼間10.1kmが開通しました。しかし、戦況の悪化と終戦により、妻沼―小泉間は完成しませんでした。 この東武熊谷線が、福川を渡る橋が「東武橋」でした。 その後…

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