斎藤別当実盛のエピソード2

鎌倉時代に成立した『平家物語』に描かれている、斎藤別当実盛のエピソードを紹介します。 治承4年(1180)の静岡県の富士川を挟んで源氏と平氏両軍が対峙した際の、平家軍の陣中での出来事です。 平維盛(たいらのこれもり:1159-1184)が「源氏軍には、実盛ほどの強い弓を引ける武士がどれだけいるのか」との問いかけに、実盛は、「源氏方の東国武士はいずれも屈強な武士たちで、しかも土地にも詳しく、こ…

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斎藤別当実盛のエピソード1

斎藤別当実盛(1111-1183)のエピソードを紹介します。 寛延2年(1749)に成立した人形浄瑠璃『源平布引滝』(げんぺいぬのひきのたき)の中の「実盛物語」といわれている中で書かれている話です。現在でも歌舞伎の演目として大変人気のある物語です。 「源氏方の九郎助の娘小万は、源義賢(■-1155:木曽義仲の父)から、源氏に代々伝わる白旗を預かり、平家方に追われて琵琶湖を泳いでいると、平宗盛…

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旧家所蔵資料6 鏡

市内の旧家所蔵資料の紹介6回目。今回は、青銅製の鏡です。 左から「八稜鏡」「八花鏡」「菊散双鳥鏡」です。 「八稜鏡」は、中国唐代の銅鏡の様式の一つで、鏡の縁に八枚の花びらのように見える突起があるのが特徴です。平安時代には、唐の銅鏡を真似て国内でも作られました。中央には鳥や草花の文様を配する例が多いですが、本鏡は腐食が進行しているため文様は不明です。 「八花鏡」は、青銅鏡の縁に八枚の葵の花び…

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旧家所蔵資料5 頓阿作「柿本人麻呂像」

市内旧家所蔵資料の紹介5回目。今回は、頓阿作「柿本人麻呂像」です。 高さ25㎝。衣冠を着けて髭を生やした老人が、左の肘を肘掛にかけ、右腕は立てた右足の膝上にのせ、詠吟している様子が刻まれています。入手経路は不明です。 頓阿(1289-1372)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の僧・歌人です。浄弁(■-1356)・兼好(1283-1352)・慶運(■-1369)とともに、二条為世(1250-13…

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文殊寺境内出土の鐙

平成8年(1996)の市内野原文殊寺の元境内遺跡の発掘調査で出土した鐙を紹介します。 この鐙は、長26㎝、幅14㎝を測る鉄製で、銅合金の象嵌が施されています。昭和11年(1936)の火災の廃棄土壙から出土しました。 明治19年(1886)の「寺社明細調」によると、文殊寺の宝物として本尊「文殊菩薩」木像、開山性袋木像等の他に「増田四郎重富の遺品鐙」と記載されています。 現在「寺社明細調」に記…

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斎藤実盛の館跡

市内西野の堀内には福川堤防に接して「実盛塚」があります。 福川に沿って開かれた長井庄の中心的位置で、福川の舟運や、旧鎌倉街道がこの付近を通っていたと推測される交通要衝に立地しています。 新編武蔵風土記稿には「この辺り堀内という所は実盛が邸跡なりと云い伝へり」と記されています。 大正15年埼玉県指定史跡「斎藤実盛館趾実盛塚」と指定されましたが、昭和38年解除されています。昭和52年熊谷市指定…

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増田四郎重富(ますだしろうしげとみ)

室町時代の武将増田四郎重富(ますだしろうしげとみ:生年不詳-1487)を紹介します。 増田四郎重富は、室町時代の古河公方足利利成父子に仕えていた武将です。出自については不明で、『小田原衆所領役帳』に記載のある増田氏の一族、秩父党あるいは児玉党の出身とも推測されています。幡羅郡上増田村(現:深谷市)の増田館に居住したが、扇谷上杉氏に攻められ、比企郡高見村(現・小川町)四津山城へ追われた。後に文明…

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石塔

市内樋春の旧観音寺の住職墓地に建てられている石塔を紹介します。 この石塔は、中近世の石造物の部材を集めて組まれたものです。 上から、五輪塔の空風輪、茶臼の上石、石仏の台座・基部で構成されます。 おそらく、近年になって散乱していた部材を集めて塔にしたものと推測され、こうした事例は珍しくはありませんが、茶臼が混じることは稀です。 この茶臼は、安山岩製で、茶臼を回すための挽手の棒を差し込む台座…

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