大神宮1

熊谷宿本陣の竹井家の私的神社であった大神宮について紹介します。 大神宮は、現在の上熊谷駅西側の旧熊谷堤に接して建てられていました。創建は不明で、明治30(1897)年12月11日に、大神宮のすぐ北を通る鉄道の汽車から出る火の粉により焼失しました。その後明治32(1899)年に11月2日に竹井澹如が再建しています。再建した大神宮は、以前紹介した花塚碑の記念写真に写っています。 今回紹介する資料…

続きを読む

花塚建設の趣意書

市内鎌倉町の石上寺境内に建てられている花塚碑の建設趣意書を紹介します。 この資料は、竹井家所蔵で、林有章から竹井澹如への書簡の中に入れられていたものです。 この花塚碑は、明治35年(1902)に建てられたもので、碑表に「志ばらくは 花の上なる 月夜哉」という松尾芭蕉の句が刻まれています。元は大神宮脇に建てられていたものですが、戦後の復興区画整理事業により、石上寺に移設されました。 文面…

続きを読む

花塚略図

昨日は、明治35(1902)年竹井家の私的神社である太神宮の脇に建てられた花塚の写真を紹介しましたが、その略図が竹井家に残されていましたので紹介します。 図によると、花塚は、碑石・上石・下石・台部により構成されていました。 大きさは「上段地面ヨリ五尺 碑石四尺五寸 総高九尺五寸」とあり、総高約2.87mの大きさであったことがわかります。碑表には「はセ越翁 志ばらくは 花の上なる月夜哉」、碑石…

続きを読む

花塚碑

この写真は、明治35(1902)年の花塚碑完成したことを記念に写真撮影したものと思われます。 花塚碑は、明治35(1902)年竹井家の私的神社である太神宮の脇に建てられましたが、戦後、石上寺境内に移設されました。 写真は、太神宮前に建てられた花塚碑の前に三人の和服姿の男性が写っています。左側の椅子に座っている人物は竹井澹如(1839~1912)、右側の椅子に座る人物が林 有章(1859-19…

続きを読む

根岸武香から竹井澹如への年賀状

明治19年に、根岸武香(1839-1902)が竹井澹如(1839-1912)に出した年賀状を紹介します。 宛名面には「大里郡熊谷駅 竹井澹如殿」と記され、松山局のスタンプが2個、熊谷局のスタンプが1個押されています。熊谷局の日付けは一月一日になっています。左上に「大日本郵便 壹銭 JAPANESE POST 郵便はかき」と印刷されており、官製はがきであることがわかります。 「熊谷駅」とは、明…

続きを読む

吉田翠鳳の寅絵

吉田翠鳳(すいほう)の描いた寅の絵を紹介します。 翠鳳は、明治38年(1905)に熊谷で生まれました。「虎の翠石」と称された大橋翠石(1865-1945)に師事し、伊豆市にアトリエ「伊豆山荘」を構え、昭和に活躍した日本画家です。師と同じく動物画をよく描き、中でも虎の絵を得意としました。 昭和12年(1937)白木屋で第一回個展を開催し、翌13年(1938)に中国に渡り、写生と虎の研究を行いま…

続きを読む

昭和13年8月31日台風被害写真

昭和13年8月31日に撮影された写真を紹介します。 当時の堤外の現熊谷市宮本町に所在した鯨井乳業の牧場が、一面水没しています。当時の荒川堤防は高崎線のすぐ南側に築かれており、宮本町は堤の外側に位置していました。大雨が降ると荒川が増水して度々水没していました。 昭和13年8月29日に父島東方海上に発生した台風が、9月1日未明に神奈川県三浦半島三崎付近に上陸し北上、所沢から熊谷付近を通過しました…

続きを読む

熊谷寺再建

明治40年(1907)3月に撮影された、再建中の熊谷寺本堂の写真を紹介します。 熊谷寺本堂は安政元年(1855)に火災に遭い、その後仮本堂で営んでいましたが、明治34年(1901)再建の許可が下り、明治40年(1907)4月10日蓮生法師700年忌を期して上棟し、大正4年(1915)に竣工しました。 写真には、周囲に足場が組まれ、柱や梁が組みあがり、瓦が葺かれていない状態の本堂が写っています…

続きを読む

竹井家の葬儀写真4

竹井家の葬儀写真の紹介4回目。今回は、明治45年8月10日に行われた竹井澹如の葬列です。 葬列は、葬儀の行われる熊谷寺へ、中山道の本町付近を西に向かって進んでいます。葬列の僧や見物人の一部に傘をさしている人がいます。8月の暑い日に、当時男性も日傘をさす習慣があったとは思えず、にわか雨が降ったのか、あるいは死穢を覆い隠す習俗だったのかもしれません。葬列奥には棺を運ぶ龕(がん)が担がれており、その…

続きを読む

竹井家の葬儀写真3

竹井家の葬儀の写真紹介3回目。 築地塀の前で、中央には棺を運んだ龕(がん)が木製の台の上に置かれています。周囲の男性は、輿丁(よてい:輿を担ぐ人)と思われます。右側には、馬車に乗った、シルクハットを被り鞭を持った御者が、左側には、人力車と車夫が写っています。 この築地塀は左手で途切れて、鐘楼と思われる建物の台部が写っており、熊谷寺の門前と判断されます。熊谷寺の本堂で葬儀が行われており、外で終…

続きを読む