『島根のすさみ』

『島根のすさみ』に記載されている籠原の茶屋(しがらき茶屋)の記述を紹介します。 この日記は、天保11年(1840)、幕府勘定吟味役の川路聖謨(としあきら:1801-1868)が、佐渡奉行所の腐敗を一掃するために佐渡奉行に抜擢され、江戸から中山道を通り三国峠、寺泊を経由して佐渡に渡り、再び江戸に戻るまでの日々を記したものです。 「島根」は佐渡相川、「すさみ」は心に浮かんだあれこれということです…

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遊歴雑記4

十方庵敬順の遊歴雑記の紹介3回目。今回は、「熊谷寺蓮生法師の詠草」です。 「一 武州榛澤郡熊谷寺浄土ハ、熊谷の驛中程にあり、此地元来は次郎直実が出生せし舊地なれば、苗字を熊谷と名乗、死後又一寺となして熊谷寺となづけしもの也、彼遠州藤枝の驛中程北側なる熊谷山蓮生寺真言は、直実出家して後みやこへ登る刻、路用盡て旅行のなりがたきまま、或當家に案内して、十返の念仏を質物として、烏目貮貫文を無心し、…

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遊歴雑記3

十方庵敬順の遊歴雑記の紹介3回目。今回は、「荒川わたし場の光景」です。 「一 武州男衾郡荒川の舟わたしは、足立郡との境にして中野原村より北にあたり、貮拾餘町の中路にあり、是早瀬の渡し又は戸田川等の上也、此道筋平に熊谷の驛へ通ふ往還とぞ、既にあゆむともなく河原の此方にいたれば、川縁にそひて懸はなれし芝原に、恰も廣野に似て夏草の花のこころままに何方此方に咲し風情の優に面白く、しばし行て眺望する…

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遊歴雑記2

十方庵敬順の遊歴雑記の紹介2回目。男衾郡中野原村文殊寺の続きです。 「一 本堂に文殊寺と横に認めし額ハ海朝の筆なり 同じく右の方に釣鐘堂左に手水鉢 此後に古樹のしだれ桜あり 花ハ八重にや一重ににや 春の頃は嘸思ハる片鄙ハ行人稀なれバ風聞する者なし 一 中門にハ木彫の獅子あり 横に左向に蹲踞て顔面を前にし口を半明て左の手を揚たる骨相は活るが如し 大さ四尺ばかり色ハ赤黒し古作と見ゆ 又左の方…

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遊歴雑記1

『遊歴雑記』は、十方庵敬順(津田大浄:1762-1832)が、文化11年(1814)に著した紀行文です。文化9年(1812)から文政12(1829)まで、江戸を中心に房総から尾張地方に至る各地の名所・旧跡・風俗・伝説・風景等を詳細に記しています。 その中で、文化11年(1814)野原の文殊寺や、荒川の渡し・熊谷寺を訪れ、その様子を記載しているので、その内容を紹介します。十方庵敬順の訪問の年に文…

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壬戌紀行(じんじゅつきこう)2

熊谷に着いた蜀山人は、布施屋旅館に泊まります。 「布施半蔵といへる宿にとまり定めて湯あみ物くひ酒のみなどしつつ、まだ日も暮れねば蓮生寺のうら門より入りて見るに、本堂の額熊谷寺の三字は支那伝法沙門高泉書とあり、門の額は蓮生山の字なり、日くれかかりて筆者の名をわかたず、熊谷蓮生法師の事は人みなしる処なり、この所に終りける事委しくは縁起に見えたり、けふ一日のうちに岡部六弥太忠澄の墓をとひ、熊谷次郎直…

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壬戌紀行(じんじゅつきこう)1

蜀山人(太田南畝:1949-1823)著の『壬戌紀行』(別名「木曽の麻衣」)を紹介します。 蜀山人は天明期を代表する文人・狂歌師であり御家人です。享和元年(1801)2月から翌2年3月まで、支配勘定として大阪銅座に出張勤務し、その任を終えて、中山道で江戸へ帰る旅の紀行文『壬戌紀行』を残しています。 享和2年3月21日に大阪の宿舎を発ち、4月4日に高崎を経て倉賀野に宿泊、4月7日に江戸に到着と…

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『千とせのあき』(2)

吉見の百穴を訪れた後、小杉榲邨一行は、甲山の根岸家に向かいます。そこで、庭のもみぢや、土器石器の古物を鑑賞します。 (前略) さて根岸氏いたり着く門前に、氏は待むかへて、広間に請し入れらる。其席の装飾ほどほどにしつらはれたるも、ことに庭苑の紅葉は、けふを盛りと染め出たる、何ともいひ難きを、しばし茶菓の設け一巡了りて、やがて木のもとに立より給ふ、まづ東久世君、 「かひがねは初雪白く尋ねこ…

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『千とせのあき』(1)

国学者の小杉榲邨(こすぎすぎむら:1835-1910)は、明治33年11月19日、冑山の根岸武香(1839-1902)の誘いにより、東京から、比企郡西吉見村(現・吉見町)の百穴と、大里郡吉見村冑山(現・熊谷市)の根岸家を訪れており、その際の記録を『千とせのあき』:明治34年刊に残しています。 同行者は、蜂須賀茂韶(1846-1918:はちすかもちあき:侯爵、フランス公使、東京府知事、貴族院議長…

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魂膽夢助譚(こんたんゆめすけばなし)

弘化4年(1847)に、一筆庵主人が書いた『魂膽夢助譚』(こんたんゆめすけばなし)で熊谷の様子が書かれていますので紹介します。 概要:夢輔という怠け者が、金に不自由なく、長生きして遊んで暮らすには、信心願かけでご利益を得るのが近道と考え、七福神の中でも一番暇そうな福禄寿にお願いした。すると福禄寿から、ある生き物をみつめて呪文を唱えると、その生き物と魂が入れ替わるという術を伝授された。 ある時…

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