発掘調査と学生運動

今回紹介するビラは、1973年7月20日付けで考古学を専攻する学生団体により、市内の道路建設に伴う発掘調査に反対するために作成・配付されたものです。 1960年代から70年代にかけて、日本の経済発展に伴い、各地で大規模な開発事業が推し進められ、新たに開発に伴う発掘調査費用の負担などのルールが整備されていきました。 1960年代後半からは、政治・社会体制に反対する学生運動が各大学で顕著となり、…

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諏訪木遺跡発掘調査

上之区画整理地内の発掘調査は、現在諏訪木遺跡の調査を行っています。 調査地点では、古墳時代から平安時代にかけての河川跡が確認されており、多量の土師器、須恵器や、木製品が出土しています。 注目すべき遺物として、木製の「扉」があります。長軸120㎝、短軸35㎝、厚さ8㎝の一枚板で、観音開きの片側と推測されます。扉の把手と開け閉め用の軸も確認されます。作成時期は、周辺から出土した遺物から古墳時代前…

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昭和39年権現坂埴輪窯跡群発掘調査写真

昭和39年10月に大川清氏が調査した、熊谷市千代地内に所在する権現坂埴輪窯跡群の調査時の写真(ガラス乾板:12×16.5㎝)11枚が残されています。 調査は10月10日~20日にかけて実施され、埴輪窯4基を調査し、リンゴ箱4個分の埴輪が出土しました。埴輪は、円筒埴輪、馬形埴輪、猪形埴輪、人物埴輪等が出土しています。 ガラス乾板には、埴輪窯の埴輪の出土状態が記録されています。 その中の1枚に…

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万吉西浦遺跡発掘調査4

昨日、万吉西浦遺跡の発掘調査が無事終了しました。 検出された遺構は、縄文時代中期の屋外埋甕1、土壙2、平安時代掘立柱建物跡1、時期不明溝1です。 遺跡は、荒川沖積地の微高地上に位置し、縄文時代中期後半以降断続的に人々が暮らしていたようです。 この他、遺構ではありませんが、地震による噴砂・噴礫の跡が3か所確認されました。地震起きたは時期は不明ですが、3か所は、砂の噴出、粒形1~2㎝程の小礫と…

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万吉西浦遺跡発掘調査3

発掘調査区域内で、数か所噴砂・墳礫の痕跡が確認されています。 写真は噴砂の後で、長さ1m程の不整楕円形に地割れが確認され、砂と小礫が噴出しています。次の写真が噴砂を建ち割った状態です。断面を見ると、確認面から50㎝程下層に砂の層があり、そこから砂が噴出している状態がわかります。 いつの時期の地震によるものかは不明ですが、縄文時代中期の遺構を切っていることから、それ以降のもので、かなり大きな地…

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万吉西浦遺跡発掘調査2

発掘調査は終盤を向かえています。 当初縄文時代の住居跡と思われた遺構は、長径2m程の土壙と判明し、埋甕は屋外の埋甕と判断しました。 写真は、その埋甕を半裁した状態で撮影したものです。波状口縁を呈し、隆帯を渦巻き状に波長部に対応するように貼り付けており、胴部下半はカットされています。煮炊きに使用していた土器を、埋設するにあたりカットした、縄文時代中期後半(約4,000年前)の加曾利E4式土器で…

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万吉西浦遺跡発掘調査1

先週の6月16日から、万吉地内に所在する万吉西浦遺跡の発掘調査が始まりました。 現在確認されている遺構は、縄文時代中期の住居跡1、土壙1、時期不明の溝1です。 住居跡は、プラン中央に礫の噴出が確認され、住居廃絶後の地震による噴礫と推測されます。

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前中西遺跡2-12

本日で、無事作業終了しました。 先日、遺構外から出土した木製品と思われる遺物を紹介します。 長さ12㎝、幅0.9㎝、厚み0.4㎝の棒状の木製品です、先端部に直径0.3㎝程の穿孔が確認できます。 見た目はアイスの棒、扇子の親骨です。 壁面の埋土から落ちてきたものを踏みつけそれを掘り出したのかと思いましたが、確認面をみると、しっかり埋まっていた圧痕があります。 弥生時代の遺構確認面からの出…

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前中西遺跡2-11

本日、調査区の全体写真を撮影して調査はほぼ終了しました。 確認遺構は、弥生時代の溝1、方形周溝墓1、土壙墓1、住居跡2です。 下の写真は、南側から撮影した調査区のパノラマ写真です。ちょっと歪んでいますが、左手前に住居跡2軒と中央から右手にかけて方形周溝墓と溝跡が位置しています。 明日は機材等片づけて完全撤収します。

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前中西遺跡2-10

天候も落ち着き、調査も終盤にさしかかっています。 遺構の掘り下げはほぼ終了し、図面の作成と写真撮影の作業を行っています。 写真は、弥生時代の方形周溝墓を、写真撮影のために清掃を行っているところです。道路幅のため方形に巡る溝の2辺のコーナー部分しか確認されていません。

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