聖天山石門碑

妻沼聖天山の入り口石門脇に建てられている「聖天山石門碑」を紹介します。 この碑は、石門が完成した翌年の昭和6年(1931)4月17日に建てられたものです。 石門の寄付者として、東京日暮里在住者47名、東京浴油講世話人20名、発起人10名、地元世話人4名の名が刻まれています。 書は「江南 青木 茂」、石工は「赤石文次郎」、発起人は、井田友平(1889-1965)の他、戸谷浅五郎、鈴木辰三郎、…

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元境内遺跡出土鉄製鐙(あぶみ)

市内野原の元境内遺跡から出土した鉄製鐙を紹介します。 鐙は、留め金具の鉸具(かこ)と紋板(もんいた)、紋板に付く丸く膨らんだ部位の鳩胸(はとむね)と足を載せる踏込(ふんごみ)で構成されます。 この鐙は、昨年度保存処理を実施し、銅合金の唐草文の象嵌が施されていることがX線写真で確認されており、鳩胸の外側だけでなく、紋板部にも唐草文の象嵌が施されています。 象嵌の研ぎ出しが未実施のため、X線写…

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松尾大明神碑

市内四方寺の蓮華院に建てられている、松尾大明神碑を紹介します。 碑表には「松尾大明神」と刻まれています。 松尾大明神は、京都の松尾大社を総本社とし、酒造りや醸造の神、開拓の神として信仰される大山咋神(おおやまくいのかみ)のことです。渡来氏族の秦氏の氏神として古くより崇敬され、全国の酒造家から「醸造祖神」として篤い信仰を集めていました。 碑裏には、吉田家13代宗孝による、吉田六左衛門家におけ…

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小八林の供養塔

市内小八林の、春日神社東側の大明神坂を下った路傍に建てられている供養塔を紹介します。 この石碑は、幅30㎝、奥行23.5㎝、高さ82㎝の角柱状を呈しています。石質は安山岩です。 碑表には「奉納供養塔」、右側面には「南よしみくわんおんみち」、左側面には「北日光行田みち」と刻まれています。 道標を兼ねたもので、この道が、吉見と行田を結ぶ古くからの街道であったことがうかがえます。 また、この供…

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市内楊井地内の石橋供養塔2

楊井地内の石橋供養塔の紹介2回目。今回は、薬師寺参道に建てられている石橋供養塔を紹介します。 石塔正面に「庚申塔」、側面に「奉建立石橋供養塔」と刻まれている、庚申塔と石橋供養塔を兼ねた石塔です。 高さ68㎝、安山岩製、安永8年(1779)に建てられたものです。 薬師寺の南100m程の場所に和田川が流れており、そこに架かる石橋を供養したものと推測され、石橋が撤去された際に、石塔を薬師寺参道脇…

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五渡造立の幡立支柱

妻沼歓喜院本坊門前に建てられている幡立て支柱を紹介します。 この幡立ては、文政10年(1827)に妻沼中町の有志により建てられたものです。支柱の上部に獅子が乗る珍しい形式です。 左側の支柱側面には、「大和屋定七 小池民之丞」と刻まれています。 大和屋は、妻沼に所在した、薬種・菜種・陶器・雑貨・材木商です。薬種は、妻沼で唯一取り扱いを行っており、歓喜院でつくる清浄歓喜団(お団)という、奈良時…

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佐藤熊次郎正貫2

玉井村で3代続いた彫刻師の系統初代、佐藤熊次郎正貫(1850-1927)の彫刻の紹介2回目。今回は、深谷市下手計の鹿島神社神楽殿彫刻です。 正貫は、嘉永3年(1850)に玉井村に生まれ、同村の彫刻師小林栄次郎(■~1898)について彫刻を学び、後上京して後藤功祐の弟子となって腕を磨きました。 この神楽殿は、明治40年に旧八坂神社神輿奉安所を改修したもので、欄間に彫刻が施されています。当神社に…

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聖徳太子塔

市内平塚新田集会所(薬師堂「自源庵」)に所在する聖徳太子塔を紹介します。 この石仏は、天明8年(1788)に建てられたもので、高さ106㎝、幅34㎝を測ります。頭部に笠唐破風を彫り出し、聖徳太子像を半肉彫りしています。上半部と左右に銘文が刻まれています。台座には講中の名前が刻まれています。 上半部:開演妙法度衆生 従於西方来誕生 伝燈東方粟散王 敬礼救世観世音 脇:天明八戊申龍集□□吉祥日…

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上奈良石橋供養塔

市内上奈良妙音寺門前に建てられている石橋供養塔を紹介します。 総高102㎝、安山岩製。 天保3年(1832)に村役人壇中により造立されたもので、左側面に「訪印本賢代 施主 石坂藤兵衛」と刻まれています。 妙音寺南側に農業用水のさすなべ排水路が流れており、この水路に架かっていた石橋を供養したものと推測されます。

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梶塚興元(縣玄節:あがたげんせつ)

江戸時代末の漢方医、梶塚興元(かじづかおきもと:1815-1866)を紹介します。 興元は、文化12年(1815)、熊谷在住の医家梶塚興基(1788-1852)の次男として生まれました。字は士善・居中で、玄節・星溪・搆菴と号しました。母方の祖父は熊谷の医家三浦無窮(1737-1816)、妻は熊谷本陣竹井家11世信静の子です。 興元は、14歳の時、江戸に入り、昌平坂学問所に入学し、安積良斎(1…

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