餘計堀改修工事記念碑

市内久保島地内の排水路脇に建てられている安山岩(根府川石)製の餘計堀改修工事記念碑を紹介します。 本碑は、昭和25年3月に、餘計堀の改修工事の竣工を記念して建てられたものです。 餘計堀は、窪地となっている三ヶ尻ー上奈良間の農地の排水路で、そのうちの三ヶ尻ー久保島間の排水路1,496mを、県の補助を受けて改修したものです。昭和27年には、さらに下流の高崎線から上奈良に至る2,500mが改修され…

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東武橋

市内中奈良と妻沼を結ぶ「緑道」の、福川に架かる「東武橋」を紹介します。 「緑道」は、かつて東武熊谷線の軌道を道路にしたものです。 東武熊谷線は、当初軍需目的で熊谷市と小泉間を結ぶ鉄道として昭和17年に着工し、翌年12月5日に熊谷―妻沼間10.1kmが開通しました。しかし、戦況の悪化と終戦により、妻沼―小泉間は完成しませんでした。 この東武熊谷線が、福川を渡る橋が「東武橋」でした。 その後…

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昭和29年刊星溪園案内

昭和29年に、刊行された星溪園案内パンフレットを紹介します。 このパンフレットは、熊谷市・熊谷市教育委員会・熊谷市郷土会により作成されたものです。 星溪園は、昭和25年に熊谷市が竹井家から譲受け、昭和29年に熊谷市指定記念物名勝に指定されました。パンフレットの末尾に「昭和二十九年九月」と記されていることから、指定に際して作成されたものと思われます。 パンフレットには、「星溪の由来」「星川」…

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牛乳配達

昭和28年(1953)8月に撮影された、くじらい乳業の牛乳配達の写真を紹介します。 自転車に乗った青年が、笑顔で牛乳配達をしています。ハンドルの両側には、牛乳瓶の入った手提げ袋がかけられています。荷台にも箱が付けられており、牛乳瓶が入っているものと思われます。夏の暑い日ということで、Tシャツ姿で配達しています。当時は車が一般には普及しておらず、自転車で配達するスタイルが一般的でした。 奥の角…

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熊谷の戦後復興写真8

成澤壽氏撮影の、熊谷の戦後復興の様子を写した写真紹介8回目。今回は、昭和25年4月と昭和27年3月に撮影された、星川の清水橋ー筑波橋間の工事を様子を写した写真です。 清水橋は、星川と駅前通り線が交差する地点から、東に200m程下流の橋です。橋の位置は、いまとほとんど変わりませんが、当時の星川は、この橋付近で頂部となり、両流下流とも南へ蛇行していました。 1枚目の写真は、「清水橋筑波橋間工事中…

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駅弁掛け紙36

熊谷駅の駅弁掛け紙紹介36回目。今回は、秋山亭の「御弁当」です。 中央には、春の熊谷桜堤と荒川に浮かぶ川船が描かれています。欄外には「御注意 空箱を窓から投げないで腰かけの下にお置き下さい!」「販売品と従業員の営業振りに付き御心付きの点は鉄道係員へ御申告願ひます」と書かれています。下欄には「鉄道構内営業人組合東京下谷中根岸山水社印刷」とあります。 右上には、「調製 (昭和)17.7.29 1…

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熊谷の戦後復興写真7

成澤壽氏撮影の、熊谷の戦後復興の様子を写した写真紹介7回目。今回は、昭和23年3月と昭和27年3月に撮影された星川の円照寺(熊谷市星川1丁目)前の工事の様子です。 旧星川は、円照寺の手前で南に曲がっていましたが、これを直線にするために、新たに流路を掘削しました。 昭和23年撮影の写真は、木橋の杭を打ち込むために、やぐらを組んで滑車を吊るし、5人がかりで重りを引いています。その様子を、4人の男…

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昭和56年11月22日撮影の東武熊谷線4

昭和56年11月22日撮影の東武熊谷線の紹介4回目。今回は、妻沼駅に止まるキハ2000形気動車です。 屋根のない妻沼駅のホームに、1両編成のキハ2000形気動車が停車しています。発車待ちのため、ドアはあけられていますが、人影がありません。東武熊谷線は5時と19時代のみ1時間に2本運行され、その他の時間は1時間に1本でした。妻沼駅始発は5時15分、最終は20時41分で、駅には、長い時で35分程ホ…

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熊谷の戦後復興写真6

成澤壽氏撮影の、熊谷の戦後復興の様子を写した写真紹介6回目。今回は、昭和24年6月に撮影された、現在の市役所通りと国道17号線の交差点から東の、国道17号線拡幅予定地の写真です。 拡幅前の国道17号線が、手前から右上に延びています。この道幅を、幅員28mに拡幅する工事が行われているところで、戦後復興写真1で紹介した写真よりも前に撮影された写真です。 左手に鉄筋コンクリート2階造りの日本勧業銀…

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旧家所蔵脚付石皿

以前、「旧家蔵出資料3 脚付石皿」で紹介した石皿ですが、この石皿を柴田常恵(1877-1954)が野帳に記録していました。 柴田常恵は、考古学者で、慶應義塾大学講師・文化財専門審議会委員などを歴任しました。昭和4年(1929)には、埼玉郷土会を設け、雑誌『埼玉史談』を刊行し、その顧問となっています。冑山の根岸武香(1839-1902)、玉作の須藤開邦(1854-1933)とも親交がありました。…

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