大神宮の再建見積書が、竹井家に残されていたので紹介します。
秋山国次郎から竹井耕一郎あての見積書です。
「見積書
大里郡熊谷町字鎌倉町天照皇大神宮再建築
・金参拾弐円五拾銭 タダシ土石垣並に土別
傚に人夫共壹式
右見積書差上■ニ付請負ヒ■■■■
明治三十弐年四月二十七日 大里郡熊谷町五百十一番地
秋山國次郎
竹井耕一郎殿」
32円50銭の見積額となっており、土石垣と土代は別となっています。
秋山国次郎は、代々土木請負業を営む家に生まれ、明治16(1883)年開通の上野ー熊谷間の鉄道敷設工事や駅開設を請負い、私財を投げうって工事に奉仕しました。日本鉄道株式会社は、その功績の代償として、国次郎に熊谷駅立売販売営業を許可しました。
国次郎は、駅ホームに間口四間の建物を設置し、雑貨や食品の販売を行い、食品の中には、竹皮包で「お寿司」を売り出しており、これを駅弁と捉えれば、国内で最初の事例です。国有鉄道となり、明治30(1897)年より逓信省鉄道局長の許可を得て、駅ホーム立売り、待合室売店の営業を行い、上等・普通弁当、鰻丼、ハム、すき焼き、茶、肉団子、菓子、果物、サンドウイッチ、冷菓、和洋酒、清涼飲料、牛乳、雑誌、玩具、手ぬぐい、ハンカチ、葉書、切手、煙草、新聞、ゆで卵などを販売しました。また国次郎は、熊谷には特筆すべき名産品が無いことを遺憾とし、水戸屋三代目水野丑松と図り、土産品として五家宝の駅売りを始めました。
大正12(1923)年9月1日に発生した関東大震災の際には、熊谷駅と協力して、罹災者のために不眠不休で弁当を作り、東京方面へ供給しました。
大正13(1924)年10月には、ホトトギス吟行会一行が待ち合わせの場所として、「驛前の茶店、秋山亭」を利用したとの記述があることから、駅前で茶店も営業していたことがわかります。
昭和2(1927)年に隠居し、子の国次に事業を継承させています。
【参考】
『ホトトギス』「秋の一日」 第28巻第4号 1925 ホトトギス社
『会員の家業とその沿革』1958 社団法人国鉄構内営業中央会
「掛紙停車183 高崎線熊谷駅(中)秋山亭」『交通新聞』 二代目荻生屋和大 2022年9月1日
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