熊谷宿本陣の竹井家の私的神社であった大神宮について紹介します。
大神宮は、現在の上熊谷駅西側の旧熊谷堤に接して建てられていました。創建は不明で、明治30(1897)年12月11日に、大神宮のすぐ北を通る鉄道の汽車から出る火の粉により焼失しました。その後明治32(1899)年に11月2日に竹井澹如が再建しています。再建した大神宮は、以前紹介した花塚碑の記念写真に写っています。
今回紹介する資料は、竹井家に残されていた大神宮の焼失届の下書きです。檀徒総代人竹井耕一郎ほか3名の連名で、埼玉県知事宛てに出したものです。
「焼失届
大里郡熊谷町大字熊谷字鎌倉町伊勢山
一 天照皇大神社 遥拝所 壱棟
豊受大神
間口弐間三尺 但茅葺
奥行九尺
右者明治三十年十二月十一日鉄道下り汽車通行ノ際、煙突ヨリ飛散セシ火気ヨリ裂風ノ為メ燃移リ焼失仕候付、其節御届ケ可仕之処、届
漏ニ相成候間、此段及御届候也
明治三十二年三月七日
右檀徒総代人 竹井耕一郎 岡田清三郎 寺山覚次郎 社掌福井求馬
埼玉縣知事伯爵正親町実正様」
これにより、大神宮は、天照皇大神と豊受大神の遥拝所で、間口二間三尺、奥行九尺の大きさで、屋根は茅葺でした。茅葺きであったため、下りの汽車の排出する火の粉が、12月の赤城おろしの裂風により燃え移り焼失したことがうかがえます。
当初の大神宮の規模や焼失理由がわかる貴重な資料です。
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