熊谷地域の昔の絵葉書紹介165回目。今回は、「熊谷本町通」「縣社高城神社」です。
右側の写真は、中山道の本町付近の様子を西から写したもので、芦江の都々逸「土手のさくらを 其のまま染めて 熊谷名物 もみの色」、左側には、高城神社本殿と熊谷八景の一節として「高城の社の 椎の木さへも まてばとあるのか 賴母しや」と記されています。
芦江は、文人の平山芦江(1882-1953)と思われます。神戸生まれ、本名は壮太郎。実父の死後に長崎の酒屋、平山家の養子になった。日露戦争中満州に渡り、帰国後は「都新聞」などの花柳・演芸欄を担当。大正15年長谷川伸らと第1次『大衆文芸』を創刊。都都逸、小唄の作詞も行いました。作品に『唐人船』『西南戦争』などがあります。
熊谷八景は、熊谷の名勝8箇所を選定したもので、「石上秋月」「長堤夕照」「秩山暮雪」「熊谷晩鐘」「高城晴嵐」「欠土落雁」「星宮夜雨」「荒川帰帆」が詠まれています。
この葉書は、「熊谷名勝絵葉書」として熊谷町協賛会から5枚組で発行された中の一枚で、以前紹介した「きかは便郵108」と同シリーズで、市内の名所等の写真とその場所にちなんだ歌を紹介しているものです。
発行年が記されていませんが、
1.宛名面上部の「きかは便郵」は、昭和8年(1933)2月15日以前の書き方
2.宛名面通信文記載範囲が1/2は、大正7年(1918)3月1日以降
以上のことから、この絵葉書は、大正7年(1918)~昭和8年(1933)の間に製作されたものと推測されます。
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