熊谷の戦後復興写真1

成澤壽氏撮影の、熊谷の戦後復興の様子を写した写真を紹介します。
終戦直前に空襲を受け、市街地の大半を焼失した熊谷市では、昭和21年9月4日に戦災復興都市計画土地区画整理事業が戦災復興院により告示され、埼玉県知事施工により開始されました。昭和30年4月1日には、事業が熊谷市に引き継がれ、昭和48年6月30日まで27年間継続されました。
この写真は、昭和28年8月に撮影されたもので、国道17号線(中山道)と市役所通りが交差する南西角の旧電々公社屋上より、東側の国道17号線(中仙道)を撮影したものです。
国道の幅員が28mに拡幅工事が行われているところで、北側の歩道は工事中で、南側には未だ設置されていません。拡幅にあたっては、多く建物が撤去・曳去移転されました。路面は未舗装で、遠方の道路中央には未だ大きな木が1本立っています。
通りの北側手前には、木造平屋の中家堂、小さな空き地を挟んで大蔵屋食堂、石造の日本勧業銀行の建物があり、南側には、「たばこ」「東京海上■」の看板があります。中家堂前の側溝上には、子ども達が遊んでいます。広い通りには、車はほとんど通っておらず、「寸馬豆人様式の道路だ」と言う人もいました。
*寸馬豆人(すんばとうじん)」:遠くにある人や馬が小さく見えることを指す四字熟語。特に絵画の遠景に小さく描かれた人馬や、それがもたらす遠近感を指す。中国の唐代の詩人、荊浩(けいこう)が『画山水賦』で用いた表現が語源で、遠くのものが豆粒のように小さく見えることを表している。
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